301日目
語られなかったこと(その五)
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あなた個人のための個別的な導き:地震の後に火が来たが、Yahwehは火の中にはおられなかった。そして火の後に、静かなささやき〔かすかな小さな声〕が来た。(列王記上 19:12)
Yahwehがあなたの召しについて明らかにされることを見分けるこの段階は、間違いなく、把握するのが最も難しいものである。「何をすべきか」ということ以上に、この部分には従順に加えて、時、それも父だけが決められる時についての理解が求められる。あなたの人生に対する召しは大きくはっきりしているが、その召しの声は、ささやきのように静かなものである。
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。もし誰かがわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼もまたわたしと共に食事をするであろう」(ヨハネの黙示録 3:20)この静かな小さな声を聞くことは、いと高き方が世界の基が据えられる前からあなたのために計画しておられたことを明らかにする。「わたしの羊はわたしの声を聞き〔聞き従い〕、わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従って来る」(ヨハネによる福音書 10:27)あなたが主に従うとき、信じる者にはすべてのことが可能となる(マルコによる福音書 9:23)。
導きを受け取ることのもう一つの微妙な機微、すなわちあなたの選択が主の声をどのように聞くかにどう影響するかについても、ここで触れておく必要がある。「彼らは遠く離れたところに立って、モーセに言った。『あなたご自身がわたしたちに語ってください。そうすればわたしたちは聞きます。しかし、Yahwehがわたしたちに語られることのないようにしてください。そうでなければ、わたしたちは死んでしまいます』」(出エジプト記 20:19)この記録は、もしあなたが恵みの御座の前に大胆に進み出ようとしないなら(ヘブライ人への手紙 4:16)、一歩距離を置いたままでいたいというあなたの願いを、父が聞き入れてくださることを示している。しかし同時に、あなたが主の声を直接聞くことこそがYahwehの望みであることも、わたしたちは知っている。
事を隠すのはいと高き方の栄光であり、事を探り出すのは王たちの栄光である。(箴言 25:2)決して忘れてはならない。あなたは王なる(王的な)祭司なのだ(ペトロの手紙一 2:9)!あるいは、エステルのように、もしあなたがそれほど大胆であるなら、あなたは主の民の救出において大きな役割を果たすようにあらかじめ定められた、主の王妃なのかもしれない!
「わたしの羊はわたしの声を聞く〔聞き従う〕」。この声は、力ある方がその日のために持っておられるあらゆる導きを一つ残らず語ることを望んでおられると謙遜に確信し、また謙遜にそれらの導きを聞こうと待つ子によって聞かれる。これはあなたの信仰の中で最も個人的な側面である。あなたは天地の創造者と個人的に交わり、その声を聞くことができるのだ。それがどれほど類まれなことに思えようとも、あなたがこの可能性を受け入れ、日々の生活の中でそれを強く求める思いを育てるなら、あなたが発見へと向かう旅は、あなたが求め、あるいは思うところをはるかに超えたものとなるだろう(エフェソの信徒への手紙 3:20)。
「語られなかったこと」を理解するうえで、最後にもう一つの宝がある。この個人的な啓示、すなわちあなたの召しを発見するうえで最も独自な部分は、まず、あなたがすべてのパターンに従うことに明け渡していなければ、信頼することができない。言い換えれば、あなたが「あなたの創造者の声から直接与えられる個別的な導き」を得ているのだと信頼するためには、あなたは次のことを認めなければならない。1. 主は怒りの器を用いることによって、ご自分の憐れみの器にご自分の栄光の豊かさを知らしめられること。2. あなたが主を選んだのではなく、主があなたを選ばれたこと。3. あなたに向かって形造られるいかなる武器も勝つことはなく、そしてその武器を形造られるのはYahweh御自身であること。4. 個人的な優先事項が、主の答えを聞くことの妨げとなること。5. あなたの個人的な召しについての啓示は、すでにあなたの内にあり、あなたの内におられるメシアがそれを保証してくださること。6. あなたは知恵を受け取り、それを適用しなければならず、知恵は学ばれ、勝ち取られ、見分けられるものであること。7. あなたの創造者の声を聞き分けるためには、a. いと高き方の御言葉を学ばなければならないこと、b. 人間の知恵を退けなければならないこと、c. Yahwehを愛し、その命令に従わなければならないこと、d. 全能者が惜しみなくあなたに賜わったものを理解しなければならないこと、e. メシアの思いを身にまとわなければならないこと。8. 知恵は特定の時と理由のために見分けられること。9. 知恵は各人、各状況に固有のものであること。10. 知恵は自分自身のあらゆる欲求を否み、他者のより大いなる益を優先すること。11. 知恵は、まったく無実でありながら杭の上で死に、自分を殺す者たちを赦すこと。
これらを行うなら、あなたは主の声を聞くことができると確信してよい。そうすればもはや、「なぜ自分がここにいるのか、自分の召しが何であるのか、よくわからない」と甘んじる必要はない。
地は、自分の召しの豊かさの中で働く息子や娘たちを求めて叫んでいる。なぜなら、被造物は、全能者の子らが現されることを切なる期待をもって待ち望んでいるからである。(ローマの信徒への手紙 8:19)わたしたち一人ひとりが自分の個人的な召しへと踏み出すとき、わたしたちは共同体として支配権を確立し、天の国をこの地にもたらすことができる。信じる者には、すべてのことが可能なのだ!
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