228日目
肉の思い
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わたしの小さな子らよ、わたしはあなたがたに、あなたがたがわたしとわたしの子と一つであると告げなかったでしょうか(ヨハネ 17:21)。もしこれが真実であるなら、あなたが何かを欠くことなどあり得るでしょうか。真実は、わたしが何かを欠くことがあり得るならば、あなたもまた欠くことができるということです。それはあり得るでしょうか。わたしを超える何かが存在するでしょうか。
わが子よ、教えてください。もしあなたが宣言されたとおりにわたしの御国の相続人であるなら、「そしてもしあなたがたがメシアのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人である」(ガラテヤの信徒への手紙 3:29)とあるとおりに、なぜあなたの祈りは、すでにあなたのものであるものを、絶えずわたしに求め続けるのでしょうか。ああ、次の節がそれを説明しているかもしれません。「わたしはこう言おう。相続人は、子供〔未熟な者〕である間は、すべてのものの主人であっても、しもべと少しも異なるところがない」(ガラテヤの信徒への手紙 4:1)。
あなたの未熟な祈りについて考えてみなさい。「父よ、どうかわたしをお助けください」「父よ、わたしをお赦しください」「父よ、道を示してください」「父よ、わたしを祝福してください」。わたしがあなたに、わたしが苦難の時のあなたの助けであると(詩編 46:1)、あなたがまだ罪の中にあったときにわたしがあなたを救ったと(ローマの信徒への手紙 5:8)、わたしの子がわたしの赦しであると(ヨハネの手紙一 1:9)、Yahshuaが道であると(ヨハネ 14:6)告げなかったでしょうか。
わたしの祝福は、あなたが受け取るべきあなたのものです、愛する者よ。あなたはわたしの言うことが分かりますか。あなたは、すでにあなたに与えられているものを、絶えず祈り求め続けてきました。それは、わたしがあなたを完全な者としたその人格を否定する、あなた自身の選択なのです。
そうです、そのとおりです。わたしの御言葉は、わたしの子にあってあなたはすでに完全にされていると宣言しています。「さあ、来て、われわれ互いに論じ合おう」とYahwehは言われる、「あなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるであろう。それが紅のようであっても、羊の毛のようになるであろう」(イザヤ書 1:18)。
その秘訣は、わたしがすでにあなたに与えている者に、あなた自身が追いつくことです。わたしのしもべダビデが「幸いなことよ……」「彼は水路のほとりに植えられた木のようになる」(詩編 1:1-3)と書き記したとき、彼はわたしと歩調を合わせつつあったのです。彼は、わたしが彼のために用意していたものの中に踏み入ろうとしていたのです。
わたしの御言葉に同意することは、御言葉を活性化させ、それを目に見える現実とする霊的な前提条件です。彼はわたしを信じ、その信仰を口に出して語り、それによってわたしを促して、彼が求めたものを彼に与えさせました。彼はわたしを信じることを選び、それゆえに、彼がそうであった力強く完全にされた者として生きたのです。そうです、彼は犬のように、時にはその愚かさを繰り返しました(箴言 26:11)。それでも彼は常に軌道に戻りました。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全にされるからである」(コリントの信徒への手紙二 12:9)。
あなたの真の人格を受け入れなさい! あなたはまさに今この瞬間、完全のうちにわたしと共にいます。この真の現実に合わせて歩むかどうかは、あなたにかかっています。それ以外のものはすべて幻想です。すべての肉の思いを取り除きなさい。それは悔い改めと呼ばれるものです、愛する者よ。そのときにこそ、そしてそのときにのみ、あなたはわたしが創ったあなたの運命へと踏み入ることができるのです。
© Suffer Well デボーション・シリーズ