227日目
「明け渡す」か「踏み入る」か
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わたしの子らが祈りの中でこの言葉を語るのを、わたしは何度聞いてきたと思いますか。「わたしは明け渡します!」たいてい、この種の宣言は、わたしの愛する者たちの心の中で多くの内なる葛藤と苦しみを経た後にやって来ます。あなたは、自分が夢見て、望みをかけ、切望してきたことのすべてが、わたしの御心に沿ったものではないかもしれないと悟る所に至り、そして今こそ手放す時だと感じるのです。
わたしはずいぶん前から、わたしのパターンについてあなたに教えてきました。そして、そのような「明け渡し」の瞬間にこそ、あなたはわたしが教えてきたことを思い出すのが最善です。あなたの祈りそのものが、あなたがわたしのパターン、すなわち「求め、探し、たたく」者たちにわたしが啓示するパターンを学び、それに適応してきたかどうかを、わたしに告げるのです(ルカによる福音書 11:9)。そして思い出してください。これらのパターンを理解することは、わたしの御心に明け渡された人生を歩む上での、あなたの成功を確かなものにします。それらを「あなたの人生のための青写真」だと考えなさい。
わが子よ、わたしから、またわたしについて学んできたすべてのことに照らして、教えてください。あなたが今しているのは本当に「明け渡す」ことでしょうか。それとも、あなたの言葉の選び方は、わたしの真の性質についてのあなたの無知を反映しているのでしょうか。あなたはわたしの御心に明け渡すことによって、自分の希望や夢を本当に放棄しているのでしょうか。それとも、むしろあなたの夢は成就されようとしているのではないでしょうか! あなたにはまだ理解できていますか。
あなたがわたしをありのままに知るようになるとき、あなたがわたしの内で成熟へと入り始めるとき、言い換えれば、あなたが「完成へと進む」とき(ヘブライ人への手紙 5:12-6:3)、あなたの言葉はそのような理解を反映するようになるでしょう。あなたが自分の人生をわたしに委ねるとき、あなたは「明け渡す」のではなく、むしろ「踏み入る」のです。あなたは、あなたのためにあらかじめ定められていたわたしのいのち、あなたが求め、あるいは思い描くことができるよりもはるかに大きないのちの中へと踏み入るのです(エフェソの信徒への手紙 3:20)。そして、あなたがた「過度に分析的な思考をする者たち」にとって、これは言葉の使い方の問題ではありません。それは心(思い)の問題なのです。
あなたが夢見て、望みをかけ、切望してきたその計画が、あなたのためのわたしの計画よりも完全であることなど、あり得るでしょうか。わたしはあなたにとって何者でしょうか。わたしはあなたが望んでいたものよりも劣っているのでしょうか。あなたが従うべき別の誰かがいるのでしょうか。
あなたがわたしを知るとき、あなたがわたしをありのままに見るとき、そこに至るためにどんな決断をする必要があろうとも、あなたはわたしがあなたのために用意しているものへと踏み入ることに心躍らせるでしょう。そして、あなたが自然の領域で何を「明け渡す」ことになろうとも、それは常にその価値があるのです。
ですから、さあ、「明け渡し」、そして「踏み入り」なさい!
© Suffer Well デボーション・シリーズ