226日目

誰に対する偽りでしょうか

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わたしがあなたに、あなたの贖われていない心はすべてのものにもまして邪悪で欺きに満ちていると告げるのは(エレミヤ書 17:9)、わたしがあなたの思いを知っているからです。「わたしは腎(感情)と心(知性、意図)とを探る者である」(黙示録 2:23)。

そうです、わたしはあなたの脳と、時間的な知覚と霊的な知覚の両方を発達させる能力とを創りました。しかしながら、その広大な能力は、あなたに逆らって働くこともあります。というのも、あなたはしばしば、自分の良心にとって何か悪いこと(邪悪さの啓示)は誰か他の人についてのことだと自分自身を納得させてしまうからです。「邪悪で欺きに満ちている?」愛する者よ、もしあなたが自分の豊かさに踏み込まず、また旅の途上で、この世に片足を、わたしの御国に片足を置いて生きようとする自分の傾向について正直であり続けないなら、それは今もあなたのことを指しているかもしれません。あなたの脳がわたしの深いことを知覚する能力は(コリントの信徒への手紙一 2:10)、不義を正当化する能力によってのみ匹敵されるのです。

ここに、あなたが思い巡らすべき霊的な等式があります。不義を正当化することは偽善に等しい。あなたがこの傾向を否定することはまた、あなたに謙遜さが欠けていることにも関わっています。そうです、わたしはあなたについてすべてのことを知っています。だからこそ、「わたしの前でへりくだりなさい。そうすればわたしはあなたを高く上げよう」(ヤコブの手紙 4:10)。

偽善が広く見られるのは、あなたが永遠のことを夢見て、賛美のために手を上げながらも、正直になるならば、将来わたしと共に永遠を過ごすことを思い巡らすことが、今日あなたの魂を溢れんばかりの喜びで満たしてはいないからです。それはまるで、あなたが今を諦めてしまい、いつか「そうなるかもしれない」ことにすべての望みを置いているかのようです。そしてあなたは、日々の喜びの欠如を宗教的な儀式でごまかしているのです。

どうして、わたしがあなたの永遠のいのちの力ある方でありながら、あなたの日々の生活の力ある方ではないということがあり得るでしょうか。わたしはあなたに二心について語らなかったでしょうか。「全能者に服従しなさい。敵〔従うのではなく『選ぶ』ことを求める内なる肉性〕に立ち向かいなさい。そうすればそれはあなたから逃げ去るであろう。力ある方に近づきなさい。そうすれば主はあなたに近づいてくださる。罪人たちよ、手を清めなさい。二心の者たちよ、心を清めなさい!」(ヤコブの手紙 4:7-8)。

わたしはあなたを、永遠だけでなく今日、喜びと平安と義のうちに生きるようにと召しました。自分自身に偽りを語ることをやめなさい。もしあなたが今日、信仰のうちに喜びを見出せないなら、それが永遠にあると、どうしてそれほど確信できるでしょうか。あなたはレースの途中でやめてしまいながら、それでも永遠の賞を期待できるでしょうか。

わたしはあなたに何を語っているのでしょうか。まず、わたしはあなたに、日々の嘆きの歌をもってわたしの永遠の賞を要求することをやめてほしいのです。怒り、不安、恐れ、苦々しさ、利己心、貪欲。これらすべてはあなたの日々の生活の一部でありながら、あなたはこれから来るいのちの驚くべきことを期待し、他の人々とそれについて語り合っています。それをやめなさい、愛する者よ! やめなさい。さもなければわたしがあなたに代わってそれをやめさせます。

そうです、わたしはむしろ、あなたが正直になって、わたしがあなたの日々の必要をすべて満たすということへの信仰の欠如を告白することを望みます(フィリピの信徒への手紙 4:19)。わたしの永遠の栄光について語り合う前に、これを行いなさい。正直さがそれを求めています!

わたしに語りなさい。自分自身に偽りを語ることをやめなさい。わたしと共に、あなたの恐れに立ち向かいなさい。今日あなたを妨げているもの、今日の希望と喜びからあなたを遠ざけているすべてのものを、わたしだけが打ち破ることができます。今日はわたしの日です。それを喜び、楽しみなさい(詩編 118:24)。だからこそわたしは、あなたに自分の日を数えるようにと求めたのです(詩編 90:12)。わたしに求めなさい。そうすればわたしは永遠のことをさらに啓示しましょう。しかしまず、それがまだ「今日」と呼ばれているうちに喜びなさい(ヘブライ人への手紙 3:12-15)。

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