20日目

あなたがた二人

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「だから、すべての汚れやあふれるほどの悪を捨て去り、あなたがたの魂を救うことができる、植えつけられた言葉を、素直に受け入れなさい。しかし、御言葉を行う者になりなさい。ただ聞くだけの者になって、自分自身を欺いてはなりません。もし御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、それは自分の生まれつきの顔を鏡に映して見る人に似ています。自分を映して見ても、立ち去れば、すぐに自分がどんな顔だったかを忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法をのぞき込み、それを守り続け、忘れっぽい聞き手ではなく、実行する行いの人になる者は、その行いによって祝福されます」。(ヤコブの手紙 1:21-25)

わたしは愛をもって、あなたがた二人のもとに来ます。そうです、あなたは一人の人間ですが、あなたの心は確かに分かれています。あなたはしばしば、鏡の中の自分の姿を忘れてしまいます。わたしは違います。わたしは両方の顔を見ています。

そして、驚かれるかもしれませんが、わたしの成熟した子どもたちもまた、両方の顔を見ることができます。彼らは、あなたが仮面をかぶっていても見抜くことができ、わたしの幼い羊たちのように餌食にされることはありません。これを知っておきなさい。わたしは激しい羊飼いであり、わたしの群れ、とりわけわたしの幼く無防備な者たちが毛を刈り取られる〔搾取される〕ことを見逃しません。

大勢の前でわたしを賛美しながら、わたしの民から盗む者たちには災いがあります。お金のことだけを言っているのではありません。さらに陰湿なのは、真理の盗みです。「律法の教師でありたいと望みながら、自分が語っていることも、強く主張していることも理解していない者たち」には災いがあります(テモテへの手紙一 1:7)。自分の商品を売り込み、自分に有利になるよう秤を増やすために、わたしを利用する者たちには災いがあります。自分の「義」を利用して、わたしの選ばれた者たちを食い荒らす者たちには災いがあります。

誰が、わたしの罰が即座に下ると言いましたか。誰が、わたしの杖はあなたに見える形でしか現れないと言いましたか。わたしがこう警告したとき、あなたはそれを信じなかったのですか。「復讐はわたしのものである。わたしは報復する」、そして再び、「Yahwehは御自分の民を裁かれる。生ける力ある方の御手の中に落ちることは恐ろしいことである」と(ヘブライ人への手紙 10:30-31)。

そうです、わたしは犠牲よりも憐れみを望みます。しかし、わたしはすべての不正を裁きます。それは、わたしの子に約束したことだからです。そしてわたしは、まるで人間であるかのように、また彼が動物であるかのように、彼の犠牲を辱めることはしません。

彼の流された血が保証するのは、あなたの永遠だけであると、わたしが警告しなかったなどとは、決して言わせません。そうです、彼の血はあなたの永遠を確保しました。しかし、あなたが生きている間の、わたしの恩寵を確保するのは、あなたの日々の選択です。

「それでは、わたしたちは何と言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきでしょうか。決してそうではありません。罪に対して死んだわたしたちが、どうしてなお、その中に生き続けることができるでしょうか」と書かれているとおりです(ローマの信徒への手紙 6:1-2)。

もしあなたが、聞くだけで行わない者として罪の中に生きることに固執するなら、わたしの懲らしめは完全であり、当然のものです。わたしの右の腕があなたに向かって動くとき、それはあなたの過ちを正すでしょう。その前に、あなたは悔い改め、わたしのもとに立ち返らないのですか。

「わたしが望むのは憐れみであって、犠牲ではない。全能者を知ることであって、全焼のいけにえではない」。(ホセア書 6:6)そうです、犠牲よりも憐れみのほうが、あなたの耳に心地よいことは確かです。問題は、あなたが、わたしのすべてを認めているかどうかです。もしそうしていたなら、あなたは聞くだけの者ではなく、行う者になっているはずです。

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