274日目
電子レンジ
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言葉に短気な者を見たことがあるか。彼よりもまだ愚か者に望みがある。(箴言 29:20)
わたしはコーヒーが温まるのを待ちながら電子レンジの前に立ち、電子レンジがどれほど自分の人生を象徴していたかに気づいた。以前、何かを温めるのに電子レンジの一分間が必要だったとき、わたしはたいてい、時計にまだ十五秒以上残っている段階で扉を開けていた。丸一分待つ時間がなかったのだ、その一分が必要だと分かっていたのに。「行かなければ」ならなかったから、わたしはぬるいコーヒーで妥協した。そのぬるいコーヒーを本当に楽しんだことは一度もなかった。それでも、わたしはそれに慣れてしまった。「終わっていないが、まあいい」に慣れてしまったのだ。
当時のわたしの人生全体は、電子レンジの前での選択、丸一分待てないわたしの姿にまとめることができた。電子レンジ自体がすでに近道であり、体に良いものでさえないのに、わたしはそれが提供する最善の結果を得るために必要なわずかな時間さえ投じることができなかった。勤勉な者の計画は必ず利益をもたらし、性急な者は必ず欠乏に至る。(箴言 21:5)
今日、わたしは刑務所にいる。刑務所はわたしを変えた。わたしは電子レンジを一分に設定しながら笑う。わたしは最後の一秒まで使う。一分が過ぎれば、すべてはあるべき姿になる。そして宇宙は、その一分の間、わたしがいなくてもまったく問題なかった。
わたしはよく「人は人を救えない」と言っていた。わたしのぬるいコーヒーは、わたしが自分自身の言葉を信じていなかったことを証明していた。わたしは「実現させ」なければならなかった。わたしは「その人」でなければならなかった。なぜか。神のためだったのか。いや、それはすべてわたし自身の目的のためであり、それでいて神に仕えているふりをしていただけだった。
わたしは今、それをよく分かっている。わたしは今でも「物事をなし」「その人」でありたいと思う。しかし今は、神が言われることだけを行い、神が望まれる者になりたいと思う。Yahwehは、Yahwehを待ち望む者、Yahwehを求める魂に恵み深い。Yahwehの救いを静かに待ち望むことは良いことだ。(哀歌 3:25-26)
だから今、わたしはまず尋ねる。わたしはすべてのことについて父と語り合い、その声を聞く。「マイケル、コーヒーを温めなさい。必要なだけ時間をかけなさい。今日わたしがあなたに求めることを話し合う時間はある。」
このごろ、コーヒーはずっとおいしくなった。わたしには新しい目標、新しい夢、新しい確信がある。刑務所では電子レンジしかない。家族のもとに帰ったら、わたしは電子レンジをすっかり手放し、コンロでコーヒーを温めるつもりだ。そんなことが想像できるだろうか。
一方で、Yahwehとわたしは今では毎日コーヒーを飲んでいる。温かいコーヒーを一緒に。しかし、わたしはといえば、Yahwehを仰ぎ望み、わたしの救いの力ある方を待ち望む。わたしの力ある方はわたしに耳を傾けてくださる。(ミカ 7:7)
© Suffer Well デボーション・シリーズ