231日目
正しい者の死
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バラムは、イスラエルの約束にあずかるために死が必要だとしても、それは慕うべき相続財産であることを理解していました。
「ヤコブの子孫を誰が数えられようか、塵のように数えきれないのに。
イスラエルの民の四分の一さえ、誰が数えられようか。
わたしも正しい者のように死に、その最期のように終わりたい。」(民数記 23:10)
バラムは、「イスラエル」の名を受け継ぐ者として選ばれた人々が、土地よりもはるかに大いなるものを受け継いでいることを認識していました。彼は永遠のものを見ていたのです。
アブラハムとその子孫が世界の相続人となる約束を受けたのは、律法によってではなく、信仰による義によってでした(ローマの信徒への手紙 4:13)。イスラエルから出た者がすべてイスラエルではないからです。肉の子は全能者の子ではなく、約束の子が子孫と見なされるのです(ローマの信徒への手紙 9:6、8)。
約束の子とは誰でしょうか。イスラエルとは誰でしょうか。イスラエル、それは力ある方と共に勝利し、あるいは打ち勝つ者という意味です。何という遺産でしょう。バラムは自然の目ではなく、預言的な目で見ていました。彼を動かしたのは、この世的な保護以上のもの、すなわち彼らの永遠の相続財産の約束だったのです。
そうです、バラムが預言的に見たのは、Yahshuaの流された血(いのちの力)を通してYahwehと共に歩む者たちの相続財産でした。そして彼は、それのために喜んで死ぬとまで言い切ったのです。「わたしも正しい者のように死に、その最期のように終わりたい。」想像できるでしょうか。それはまるで彼が「わたしは死に、わたしのいのちは今、メシアと共に全能者の内に隠されている」(コロサイの信徒への手紙 3:3)と告白したかのようです。
イスラエルは、うらやむべき運命を持つ、守られ超自然的に導かれた民でした。彼らは入るときも祝福され、出るときも祝福されていました(申命記 28:6)。バラムはこう宣言しました。「これは離れて住む民、諸国民のうちに数えられない民である。」(民数記 23:9)そうです、彼らは異邦人のうちに数えられないほど高く上げられた民なのです。〔彼らは〕選ばれた民、王なる祭司、聖なる国民、全能者の所有とされた民であり、それは〔彼らを〕闇からご自分の驚くべき光へと召してくださった方の栄誉をあらわに語るためです(ペトロの手紙一 2:9)。そして「彼ら」とは「あなた」のことなのです。
あなたの心は、バラムのように動かされているでしょうか。あなたはバラムがその相続財産を望んだのと同じくらい、自分の相続財産に胸を躍らせているでしょうか。あなたはYahshuaの流された血によって与えられたこれほど壮大な贈り物に対して、そのために死ぬ覚悟を持つほどの感謝に満ちて歩んでいるでしょうか。
正直に言いましょう。もしあなたが、Yahshuaの流された血によってあなたに差し出されたものへの感謝が薄れていると気づいているなら、あなたは裸のまま、覆いなく父の前に出るべきかもしれません。もしかすると、あなたは実際には王族の(聖なる)血(いのちの力)が血管(思考の経路)に流れているのに、貧しい者のように生きてきたことについて赦しを求めるべきかもしれません。あるいは、バラムのように、それのために死ぬ覚悟があると口では言いながら、それを得るために実際に必要な死には抵抗しているために、受け継いだ本来の身分を失う危険にさらされているかもしれません。
バラムの言葉と彼の心の真の意図は決して一つになりませんでした。そしてこれは彼に対する呪いとなったのです(申命記 23:5、ユダの手紙 1:11、ヨハネの黙示録 2:14)。豊かさへの旅は思いの中から始まります。今日は少し時間を取って、自分の相続財産について思いを巡らせてください。あなたはまず自分が王族であると信じなければ、王族になることはできません。
そして王族であるということは、支配することを意味します。Yahwehはご自分の支配者たちに多くを求められます。多く与えられた者は皆、多くを求められ、多くを任された者は、さらに多くを要求されます(ルカによる福音書 12:48)。支配者たちはまた、山の頂上でも谷間でも、礼拝するように召されていることを理解しなければなりません。
あなたの相続財産を受け入れ、ソロモンのようにこう祈ってください。「あなたのこの大いなる民を治めることができる者があるでしょうか。わたしに知恵と知識を与えてください。」(歴代誌下 1:10)そして、あなたの正当な分け前を受け取り、その中で喜んでください。喜べと言います。喜びなさい。
© Suffer Well デボーション・シリーズ