221日目
誠実さ
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誠実さとは、Yahwehの思いから出る考えの背後に立ち続ける勇気のことです。しかし、あなたはこう思うかもしれません、「誰がYahwehの思いを知っただろうか……」〔答え〕しかし、わたしたちはメシアの思いを持っています(コリントの信徒への手紙一 2:16)。
もちろん、主の思いを知るためには、まず主の静かな細い声を聞くことができなければなりません。そしてこれは努力なしには得られません。思い出してください、それは「静か」〔ただ静められた思いにのみ語りかける〕、「細い」〔あなたに努力を求める〕、「声」〔あなたの内なるYahwehの御心〕なのです。
あらゆることにおいて誠実であるということは、実はすべての事柄についてYahwehの思いを持っているということにほかなりません。それは、主の諸原則が目に見えるパターンとして繰り返し現れていることを認識することです。愛、平安、喜びと同じように、誠実さという考えは、その原則の創造主、すべての命じられたパターンの創造主によってのみ定義されるのです。もしわたしたちの父が完全であるならば、誠実さとは、その父に至る道筋の一部分なのです。それゆえ誠実さは、主によって創られた者たちの思いから出るあらゆる考えの不可欠な部分でなければなりません。
永遠の「わたしはある」から真に出る考えは、あらゆる一つ一つの原則(戒め)をその考えの中に取り込んでいます。誠実さは、七度精錬された銀のように考えをふるいにかけ、創造主のすべての原則、言い換えれば主の思いに一致しないその考えのどの部分をも照らし出します。誠実さはすべてのかすを取り除き、そしてそれに逆らって来るものが何であろうと、しっかりと立ち続けます。
誠実さは、自分が広範な反対に直面することを避けられないと理解しています。それゆえに苦しむことを覚悟しています。しかし同時に、その苦しみの中で立ち続けることも覚悟しています。堕落したこの世界では、絶対的な誠実さを掲げるどんな基準も、あらゆる方面から攻撃を受けるでしょう。生まれながらの人は全能者の御霊のことを受け入れません。それは彼にとって愚かなことであり、また彼はそれを知ることができません。なぜなら、それは霊的に見分けられるものだからです(コリントの信徒への手紙一 2:14)。誠実さは、その創造主が立たれるのと同じように確実に立ち続けるでしょう。そしてそれは、すべての敵たちを駆り立てて、この霊的な考えに対して破壊をもたらそうとさせるでしょう。なぜなら、肉の思いは力ある方に対して敵意を抱くものであり、全能者の律法に服することなく、また服することもできないからです(ローマの信徒への手紙 8:7)。
同時に、誠実さは、まだ根こそぎにされていないあなたの「自己」のあらゆる部分を暴き出します。
誠実さ、それはYahwehの思いから出る考えの背後に立ち続ける(その苦しみに耐え忍ぶ)勇気です。それは、Yahwehから分かたれることなく、全き一つである状態です。誠実さとは統一であり、一貫性であり、結束であり、結びつきです。「正しい者の誠実さは彼らを導くが、背く者の邪悪さは彼らを滅ぼす」(箴言 11:3)。
© Suffer Well デボーション・シリーズ