203日目
ああ、牧者たちよ
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わたしの羊はすべての山々を、すべての高い丘をさまよった。わたしの羊は地の全面に散らされ、それを尋ね求める者も探し求める者もいなかった(エゼキエル書 34:6)。
あなたは建て続け、建て続け、拡大を求めている。あなたは、人数(建物を満たす人がどれほどいるか)がわたしの祝福のしるしであると自分自身に信じ込ませてきた。いつわたしがあなたに人口調査をせよと言っただろうか。わたしの働きは荒野で行われる。それなのにあなたはふかふかの絨毯と空調を望む。ああ、どうにかしてあなたに、地位ではなく力に、進んで目を向けさせることができたなら。
わたしが語っている力とは、人間が知覚するようなものではない。サウロはそれを理解していた。「そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、説得力のある人間の知恵の言葉によるものではなく、霊と力の証明によるものでした。それは、あなたがたの信仰が人間の知恵にではなく、力ある方の力に基づくためです」(コリントの信徒への手紙一 2:4-5)。わたしの力は谷(打ち砕かれた自我の場所)から生まれ出る。「〔サウロは〕弱さと恐れと大きな震えをもって、あなたがたのもとにいました」(コリントの信徒への手紙一 2:3)。
あなたは人を感心させようとし、わたしは回復させようとする。救うのはあなたなのか。あなたの努力のどれかが救いに至るというのか。決してそうではないとわたしは言う。あなたはただ、わたしの子、わたしの救いを指し示すだけだ。
わたしはあなたの計画も、あなたの日程も、あなたの祭りも、あなたの伝統も必要としない。わたしは打ち砕かれた心(思い)を探し求める(詩編 34:18)。わたしの働きは谷において行われる。それなのにあなたはふかふかの設備を望む。わたしが探し求める者たちは捕らわれの身にあるのに、あなたのもとの者たちは華やかさと地位のために着飾っている。
あなたは失われた者を探し求めていると公言する。あなたの刑務所伝道はどこにあるのか。あなたのホームレス支援施設はどこにあるのか。ああ、そうだ、分かっている。「わたしはそういう働きに十分の一献金をしています」とあなたは人に言う。牧者たちよ、あなたの清い宗教はどこにあるのか(ヤコブの手紙 1:27)。
建物が朽ち果て、計画が崩れたとき、あなたには何が残るのか。あなたは指導者を育てるはずだったのに、あなたのもとには従う者しかいない。羊が羊を導いている。盲人が盲人を穴へと導くというわたしの宣言を、あなたは忘れてしまったのか(ルカによる福音書 6:39)。
本当の牧者たちはどこにいるのか。他者を自分よりも優れた者と真に思う者たちはどこにいるのか。誰がわたしの子に倣うのか。誰が他者の益のために死ぬのか。あなたがたは教理上の意見の相違すら扱いかねているのに、どうやってあなたを裏切る者を愛するというのか。どうやってあなたに唾を吐く者を愛するというのか。
わたしは牧者たちを、来るべきエクソダスのための真の牧者たちを探し求めている。誰がわたしとともに来るのか。
こういうわけで、メシアにあって何か励ましがあり、愛による慰めが何かあり、霊による交わりが何かあり、慈しみと憐れみが何かあるなら、思いを一つにし、愛を一つにし、心を合わせ、志を一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄からするのではなく、へりくだって互いに人を自分よりも優れた者と考えなさい。おのおの自分のことだけでなく、他人のことにも目を留めなさい(フィリピの信徒への手紙 2:1-4)。
ああ、これらの言葉があなたを貫きますように。
© Suffer Well デボーション・シリーズ