83日目

主のマナ

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わたしは目的もなく骨折り、むなしく、無駄に力を費やしてきた。それでも、わたしに当然与えられるべきものはYahwehの御手のうちにあり、わたしの報いはわが力ある方と共にある。(イザヤ書 49:4)

かくも懸命に労苦しながら何の甲斐もなかったというのは、どういう意味でしょうか。主の啓示によって、自分があまりにも長く肉のうちに働いてきたと気づくとき、それはどのように感じられるでしょうか。あなたは、イザヤが「わたしに当然与えられるべきもの」と言ったとき、何を意味していたのだろうかと思うでしょう。それはYahwehの憐れみと恵みから流れ出るもの、あなたへの主の愛の属性です。

あなたが目的もなく労するのは、あなたが道を尋ねなかったからです。あなたは肉において、あなたが慣れ親しんだやり方で、あまりにも早く主より先に進んでしまいました。それは常に無駄に終わるでしょう。そうです、主は常に先を行っておられますが、あなたはそれを考えるために立ち止まりませんでした。あなたの行いは主の御心を含んでいませんでした。

それでも、主は御子の死によってあなたに新しい心(思い)を与えてくださいました。そして主は、その変化を尊ぼうとするあなたの努力をご覧になっています。今こそ、初めからやり直すときです。あなたは、当然与えられるべきものを受け取りたいと思いませんか。

あなたが持っている才能、良いことのために持っているその熱心、そうです、それらは主があなたの内に置かれたものです。主がそれらの賜物を正しく用いられるように、今、主のもとに導きを求めに行きませんか。

ダビデ王を思い起こしなさい。彼が全能者のために、杉と石で造られた宮、家を建てたいとどれほど願ったかを。もし彼が預言者ナタンを通して止められなかったなら、彼は確かにその計画に着手していたことでしょう。そのようなことを心に抱いたこと自体はよいことでした(サムエル記下 7:3)。それでも、彼の啓示のその預言的な瞬間に、彼は「否」と告げられました。

ご覧のとおり、もし彼が抑えられることなく進んでいたなら、あれほど良く、あれほど主を尊ぶことに思えたことに、多くの労力が無駄に費やされていたことでしょう。それでも、それは彼が建てるべきものではなかったのです!

ただYahwehに従順な心を差し出しなさい。そうすれば主が設計図を描き、主が労働者を雇い、主が費用を支払われます。

何かに取りかかろうとする前に、主に尋ねなさい。すべての思いを、それゆえすべての行いを、主を通して吟味しなさい!ああ、主はこのような関係をあなたと結びたいと願っておられます。主はあなたとこのような関係を持たれるでしょう。主に尋ねなさい!主のマナは、あなた自身の力で作り出すパンよりもはるかに優れているでしょう。これもまた一つの型、まことに逃れられない型なのです。

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