355日目

Yahwehのみ

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わたしの魂は、力ある方のうちにのみ安らぎを見出す。わたしの望みは主にある。(詩編 62:5)

これは単なる言葉ではありません。歌の歌詞にとどまるものでもありません。「Yahwehにのみ、わたしは安らぎを見出す。主にこそ、わたしは望みを置く!」この言葉は、命の本質を宿しています。そしてこれを口にするとき、わたしたちはそれが本当は何を意味するのか、わたしたちが本当は何者なのかを立ち止まって考えなければなりません。

世界中の信仰者たち、その数百万人が、ある者はほとんど天上のように美しい声で共に歌います……

「あなたの栄光ある御名がほめたたえられますように。
それは、あらゆる祝福と賛美を超えて高く上げられています。
あなたおひとりがYahwehです。
あなたは天を、
天の天を、そのすべての万象とともに造られました。
地とその上にあるすべてのもの、
海とその中にあるすべてのものを造られました。
あなたはそれらすべてを保っておられます。
天の万象はあなたを礼拝しています。」
(ネヘミヤ記 9:5-6)

……そして歌が終わったとき、それは?ただの歌の中の言葉にすぎないのでしょうか。もしその言葉を信じているなら、なぜ悲しみが、なぜ恐れとあらゆる切望があるのでしょうか。

もし主がYahwehであり、主が変わらないのであれば(マラキ書 3:6)、主の語られたことは永遠に立ち続けます。「わたしの魂は、あなたのうちにのみ安らぎを見出す。」これはただの歌でしょうか、それとも命そのものの本質でしょうか。「あなたはすべてのものを保つ方です!」

考えてみてください。もし主が、あなたが安らぎを得るのは主のうちにのみだと宣言されたのなら、主は、あなたがこの物質世界のものの中に真の安らぎを見出すことを許されるでしょうか。人間関係、あるいは結婚からさえ、真の望みと安らぎを見出せるでしょうか。「完璧な」仕事や奉仕はどうでしょうか。子供や家族はどうでしょうか。

それどころか、主は世の朽ちるべきものの中に栄光を求めることについて、厳しい警告を与えておられます(そう、それは人間についても同じです)。さらに、もしあなたが真理を偽りと交換することに固執するなら、主はあなたを、あなた自身の心の欲望に、汚れた情欲に、堕落した思いに引き渡されるでしょう(ローマの信徒への手紙 1:18-32を読んでください)。

主の外側にあるものの中には、究極の望みも安らぎも見出すことはありません。では何が残っているでしょうか。他のものの中に安らぎを求めても繰り返し失敗してきたことを認めながらも、なおYahwehのうちにのみ安らぎを見出すことに苦闘しているなら、そこからわたしたちは始めることができます。

告白しなさい。「父よ、わたしはその言葉を知っています。しかし、わたしの思いは今もなお、いえむしろそれ以上に、あなたが十分ではないとわたしに告げ、隠してさえいます。わたしはすべてにおいてあなたを信頼していません。」愛する者よ、これによって、癒やしが始まります。主の御前でのあなたの正直な弱さの吐露が、あなたの上に主の平安を解き放ち始めるでしょう。

〔王的〕祭司の祝福をあなたの上に祈ろうではありませんか。

「Yahwehがあなたを祝福し、あなたを守られますように。
Yahwehが御顔をあなたに輝かせ、
あなたを恵まれますように。
Yahwehが御顔をあなたに向けて上げ、
あなたに平安を賜りますように。」
(民数記 6:24-26)

こうして〔わたしたちは〕イスラエルの子らの上に〔Yahwehの〕御名を置き、〔主おひとりが〕〔あなたを〕祝福されます。(民数記 6:27)そうです、Yahwehのみ!

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