330日目

会衆

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会衆とは、メシアがなさったように考え、行うために召された、贖われた思いの集まりです。それは、Yahwehの教えとYahwehの思いを広め、それによって物質の領域において目に見える形で証明できる証拠を生み出すためのものです。この召しを忠実に実行することによって、わたしたちはYahwehよりもさらに大きな働きを生み出すことになります。なぜなら、Yahwehはどのように父の「もとへ行かれた」かをわたしたちに示してくださったからです(ヨハネによる福音書 14:12)。これは、Yahshuaが父の「道を行かれた」かのように、すなわち「わたしの意志ではなく、あなたのみ心が行われますように」(ルカによる福音書 22:42)というように、文脈の中で理解するのが最善です。

会衆についての形而上学的な情景とは、多くの魂が共に集まっている様子、すなわち贖われた思いの集まり、言い換えれば、メシアの思いを捕らえるために共に押し寄せる思いの会衆を思い描くことです。あなたの使命は、父の言語を聞き、理解することです。「なぜあなたがたには、わたしの語ることが分からないのか」とYahshuaは尋ねられました。「あなたがたが、わたしの言葉を聞くことができないからである」(ヨハネによる福音書 8:43)。それでは、父の思いの現れとしてのYahwehの言葉とは何だったのでしょうか。「わたしはそれであり、自分からは何も行わず、ただ父がわたしに教えられたことだけを話している」(ヨハネによる福音書 8:28)。

Yahwehの言葉のうちに、Yahwehが父の道を行かれたことをあなたは認めることができますか。これがそのパターンです。Yahwehの思いは父と共に集まり、Yahwehは導きを受け、そしてYahwehはただ父の言葉だけを語られました。メシアは、すべての人と同じように、内にご自身の思いと父の思いという二つの思いを持っておられました。Yahwehは常に「Yahwehのみ心」として表される父の思いに服従され、それは常に、より大きな働きを生み出しました。まず内側で、それから外側で!では、あなたはどうでしょうか。

この「会衆」についての力強い理解は、「教会」という誤った訳語に置き換えられると失われてしまいます。あなたは「教会」と聞いたとき、何を真っ先に思い浮かべますか。今こそ、正直な内省が求められ、勧められます。あなたは「教会」と聞くとき、ただ父が考えることだけを考えるメシアの思いのような、内面的なことを思い浮かべますか。それとも、教会組織や建物のような、外面的なことを思い浮かべますか。あなたは思いのあり方を思い浮かべますか、それとも教会組織を思い浮かべますか。もし「教会」という言葉が真っ先に外面的なことを思い起こさせるなら、それはあなたがまだYahwehの言語を語らず、Yahwehの言葉を聞いていないからです。

このようなことについて話し合うために、わたしたちがこうして集まることができたのは幸いです。わたしたちのうち二人、あるいはそれ以上の者が集まり、父の思いを広めています。

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