315日目
住まいの検査
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わたしたちはしばしば、他の人が自分の霊的な生活、Yahwehへの献身について、「もっと頑張らなければ」と言うのを耳にします。このような発言ほど、ルーアッハ(聖霊)を悲しませるものはありません。まさにこの種の考え方こそが、砂の上に築かれた土台を明らかにするものであり(マタイによる福音書 7:26)、試練が来たときに残らない土台なのです。
その砂を堅い岩に変えるには、単純な一つの問いで十分でしょう。「もしあなたの中に、Yahwehが求められる義の基準を満たすほど善いものが少しでもあったなら、なぜ御子が十字架につけられる必要があったのでしょうか」。あなたはそれを認められますか。
あなたは、メシア・Yahshuaが死なれたのは、あなたに何らかの欠点や誤った思考プロセスがあったからなのか、それとも、あなたの中に善いものが何一つなく、あなたの心のあり方全体が堕落していたから死なれたのか、どちらかを決めなければなりません。これにどう答えるかが、あなたが自分の家(あなたの思いのための住まい)をどのように築くか、そしてどのような土台の上に築くかということと、すべてにおいて関わってきます。ここで二つのヒントを差し上げましょう。1. Yahwehが家を建てられるのでなければ、建てる者の働きはむなしい(詩編 127:1)。2. もし家が内部で分かれ争うなら、その家は立ち行くことができない(マルコによる福音書 3:25)。
自我に導かれる自然の思いは、メシアがあなたの内で働かれる以前に、あなたの中に何らかの善があったと思い出させようとする誘惑と、繰り返し向き合わなければなりません。愛する者よ、それは単純に真実ではありません。そこには何もありませんでした。今あなたの内にある善は、ただYahshuaがあなたの内におられるがゆえのものです。あなたが決して持つことのない唯一の善は、あなたの内におられるメシア、栄光の望みです(コロサイの信徒への手紙 1:27)。
あなたは、自分に突然(自分の「自己」に)必要なものが備わったのだと思い込ませようとする思いを、絶えず捕らえなければなりません。あなたは、神の知識に逆らって立てられたあらゆる議論やすべての高ぶりを打ち壊し、あらゆる思いを捕虜として、メシアに従わせなければなりません(コリントの信徒への手紙二 10:5)。
バプテスマのヨハネは、あなたの心に絶えず入り込んでこなければならない支配的な思考パターンを、預言的に告げ知らせました。「わたしは衰えなければならない!」(ヨハネによる福音書 3:30)。彼が自らの「自己」の善を否定したことは、彼の霊的な斬首の宣言であり、彼の肉体的な斬首の予兆でした(マルコによる福音書 6:14-29)。もしあなたがYahwehの贖いによって取り戻された者であるなら、あなたは「見よ、神の小羊だ」と証ししてきたはずですが、あなたは自分自身の斬首を経験してきたでしょうか。
聖書の中の決定的な出来事を用いてこの考えを説き明かすにあたり、愛する者よ、もう一度よく聞いてください。使徒言行録16:30で、ピリピの獄吏がサウロに「救われるためには何をしなければなりませんか」と尋ねたとき、その問いは、あなたが英語で読むとき、あるいはギリシア語訳で示されている場合でさえ、見た目よりもはるかに深いものです。
その問いを向けられていたサウロが理解していたであろう、救いについてのヘブライ的な概念を、少しの間考えてみてください。文脈から言えば、彼はこの問いに答えていたことになります。「人はヤシャー(yaw-shah)となるために何をしなければならないのか」。ヘブライ語で「救われる」を意味するこの語は、まさしくYahshuaという名前から派生したものにほかなりません。声に出してそれを自分自身に言ってみて、その意味するところをあなたの魂の奥深くに沈み込ませてください。「人はYahshuaとなるために何をしなければならないのか」。
賢い者たちはこれを自らのものとします。「わたしは衰えなければならない。Yahshuaよ、わたしの内にある善いものがすべてあなたであることに感謝します!あなたのようになるために、わたしは何をすればよいのでしょうか」。そして彼らは決してこの場所を離れません。決して!
© Suffer Well デボーション・シリーズ