290日目

「神のご加護を」

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「神のご加護を」というあいさつを、世界中の人々がいかに気軽に口にすることか。それはしばしば、だれに対しても、いつでも軽々しく口にされ、「さようなら」「また会いましょう」「お元気で」の代わりとして、また文書では「敬具」の代わりとして使われる。それはあなたの前でくしゃみをした人への、条件付けされた「良い作法」の応答にさえなっている。

Yahwehの真の祝福に関わる二つの型を見ていこう。

第一の型。主の祝福は、主の民、イスラエルにのみ当てはまる。Yahshuaの血が流されること(御自分の意志の明け渡し)によって贖われた者たちにである。覚えておきなさい。「あなたがたはかつて、メシアから離れ、イスラエルの市民権を持たず、約束の契約に対しては外国人であり、この世にあって望みもなく、全能者もない者であった〔かつては異邦人であった〕。しかし今や、メシア・Yahshuaにあって、かつて遠く離れていたあなたがたは、メシアの〔流された〕血によって近い者とされたのである。」(エフェソの信徒への手紙 2:12-13)

あなたが近い者とされるのは、ただ流された血によってのみである。なぜなら「血を流すことなしには、罪の赦しはない」(ヘブライ人への手紙 9:22)からである。そしてそれは、ただ主の血が流されることによってのみなのだ。Yahshuaはこう警告された。「わたしを通してでなければ、だれも父のもとに来ることはできない。」(ヨハネ 14:6)それ以外の場合、Yahwehの祝福はあなたには縁のないものであり、あなたの行き先は異邦人(諸国民)の道である。悪しき者は死者の国に下る、力ある方を忘れるすべての国民は。(詩編 9:17)

諸国民にとって、「神のご加護を」と言うこと、あるいはそれを聞くことは、預言者イザヤの言葉が、Yahshua御自身によって繰り返されたことの成就にほかならない。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心〔思い〕はわたしから遠く離れている。」(マルコ 7:6、イザヤ書 29:13による)

第二の型。Yahwehの民は、主への従順を通してのみ主の祝福を受ける。「地のすべての国民が祝福を受けるのは、ひとえに、あなたがわたしの声に従ったからである。」(創世記 22:18)「今、もしあなたがわたしに従い、わたしの契約を守るなら、あなたは地のすべての民の中にあって、わたしの特別な宝となる。全地はわたしのものだからである。」(出エジプト記 19:5)

そして、Yahshuaが来られた今は違うと主張する者たちのために。Yahshuaが話しておられると、群衆の中の一人の女が声を上げて言った。「あなたを産んだ母、あなたに乳を飲ませた乳房は、なんと幸いなことでしょう。」Yahshuaは答えられた。「むしろ、力ある方の言葉を聞いて、それを守る人こそ幸いである。」(ルカ 11:27-28)それらを戒めと呼ぼうと、律法と呼ぼうと、指示と呼ぼうと、好きなように呼んでよい。ただそれに従いさえすればよいのだ。

地は乾き、しおれる。世界は衰え、しおれる。地の偉大な指導者たちも衰えていく。地はそこに住む者たちによって汚される。彼らがYahwehの教えに背き、その掟を犯し、永遠の約束〔契約〕を退けたからである。(イザヤ書 24:4-5)

次にあなたがだれかに「神のご加護を」と言う前に、その人が主の戒めを守っているかどうかを考えてみなさい。Yahwehの祝福は、無作為に注がれるものではないからだ。何か新しいこと、これらの型に従ったこと、変わることなく、偽ることのできない力ある方(民数記 23:19)への真の希望をあなたが分かち合えるようなことを、試してみないだろうか。次にあいさつをするとき、代わりにこう考えてみなさい。「あなたが主に従うがゆえに、Yahwehがあなたを祝福されますように」と。これは実際に答えられる祝福、全能のYahweh御自身からの祝福である。

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