269日目

捕食の狂乱

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「主はその力によって、とこしえに統べ治め、その目は諸国の民を見張っておられる。反逆する者たちが高ぶることのないように。」(詩編 66:7)セラ〔このことをよく考えなさい〕

もし、すべてを治めているのが主お一人の力だけであるなら、あなたがどうやって何らかの成功や権威のレベルに到達したのかを、よく考えてみるのが賢明でしょう。「そしてYahshuaが近づいて来て、彼らに語り、こう言われた。『天と地における一切の権威が、わたしに与えられている。だから行きなさい……』」(マタイによる福音書 28:18-19)

もしあなたに何らかの権威があるとすれば、それは主がその権を託されたからです。「見よ、わたしはあなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を与える。何ものも、決してあなたがたを害することはない。」(ルカによる福音書 10:19)

したがって、もしあなたが、主の導きに一度も従うことなく「頂点」に到達したのであれば、いったいどんな「力」によってそこにたどり着いたのでしょうか。「『権勢によらず、力によらず〔あなた自身の力によらず〕、ただわたしの霊による』と万軍のYahwehは言われる。」(ゼカリヤ書 4:6)真の力の創始者は、決して衰えることのない力を、義しい者(正しく思考する者)にのみ、その霊を通してお与えになります。

残念なことに、あなたがたの多くは、自分が主の祝福と力を受けるにふさわしいほど「十分に良い」のだと、自分を納得させてしまうでしょう。この個人的な「良さ」とは、「自己」の欺きが生み出す副産物にほかなりません。「義人はいない。一人もいない。善を行う者はいない。一人もいない。」(ローマの信徒への手紙 3:10、12)

さらに言えば、個人的な力を求めること、あるいはそれに頼ることには、何が伴うのでしょうか。それは、策略と操作を用いることを必要とします。もしあなたが「成功」を手にしていて、それが主の力によってもたらされたものでないなら、あなたはそれを乗っ取ったのです。そして忘れないでください、主の目は諸国の民を見張っておられ、反逆する者たちが高ぶることのないようにしておられるのです。

反対に、あなたを引き上げたのがYahwehの力であるなら、あなたの成功には常に、主の印が刻まれた実、すなわち従順、謙遜、悔い改め、そして「自己」の自覚が伴うでしょう。もちろん後者とは、主の真の力があなたの内に現れる余地を作るために、「自己」が死ななければならないという自覚を意味します。

愛する者よ、あなたは何を糧としていますか。あなたはどんな欲望を持っていますか。それらは、メシアYahshuaの完全ないのちに根ざし、基づいているでしょうか。それを知る良い方法は、次のような問いを立てることです。「主はそのようなことを気にかけられただろうか。」そして、「主は、それらを手に入れるために、わたしがしたようなことをされただろうか。」

愛する者よ、力の源は一つしかありません。それ以外のすべては空しく、麦の中からもみ殻のようにふるい分けられるでしょう。「そこでわたしは、わたしの手が成し遂げたすべての業、わたしが労苦して働いたすべてのことに目を向けた。そして見よ、すべては空しく、風を捕らえようとするようなものであった。日の下には何の益もなかった。」(コヘレトの言葉 2:11)

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