213日目

命から死へ、そして真の命へ

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メシアであるYahshuaの内にあったこの思いを、あなたがたの内にも抱きなさい。彼は力ある方の形[霊的な似姿]でありながら、力ある方と等しくあることに固執しようとはせず、かえって御自分を空しくして僕の形を取り、人間と同じ姿になられました。そして人としての姿をもって現れ、へりくだって、死に至るまで、それも杭の死に至るまで従順であられました(フィリピ 2:5-8)。

従順とは、命令、指示、教えに従うことです。わたしの子Yahshuaは従順でした。彼は、わたしが「行って死になさい」と言ったとき、わたしに従いました。あなたがたのこの従順の行為に対する理解の乏しさに、わたしは驚かされます。彼が支払った代価は、彼の命、彼の肉体の命だけだったのでしょうか。それがあなたがたの罪をあがなう大いなる犠牲だったのでしょうか。いいえ、愛する者よ。それは、彼が永遠に変えられ、その立場が変わってしまうということでした。そして彼はそれを知っていたのです! 彼は、二度と元のようには戻れないことを知りながら、天から出て来られました。決して戻れないのです! それでも彼の答えは、詩のように単純でした。「はい、父よ」。

わたしは日々、あなたがたが彼の行いをたたえるのを見ています。あなたがたの週ごとの集まりでも耳にしています。あなたがたは彼に、これほどの驚きと畏敬の念を帰しています。彼がわたしの右の耳元で、あなたがたについてささやくとき、彼が何を言っているか教えてもよいでしょうか。「父よ、なぜあれほど多くの人がそれを見逃してしまうのでしょうか。彼らはわたしについて歌い、わたしを礼拝します。それでも彼らは本当にはわたしを知らず、わたしが支払った代価の全体を知りません。彼らはわたしについての『事柄』は知っていますが、本当のわたしを知らないのです」。わたしは彼にこう答えます。「彼らはまだ、自分たちの恐れ、不安、高慢から、一言で言えば、その偶像礼拝から抜け出していないのだ」。

偶像礼拝とは、あらゆることについてYahwehが語ることよりも、自分自身の考えを優先することです。

わたしはあなたがたにも同じ言葉を語ってきたではありませんか。「行って死になさい、わたしの息子よ、わたしの娘よ、わたしの花嫁よ」。その時が来ました。この型は成就されます。わたしが彼の死を命じたのは、あなたがたもまた死ぬためです。

宗教的な人々は、なぜそうなのかを説明しないまま、自分たちが「新しい創造」であると宣言することを好みます。その目的と型はすべてここにあります。ローマ 6:1-13です。[そして、これは今すぐあなたが読むべきものです!]

命から命へ:あなたの破壊的な生き方、あなたの背きを見るための命へ。命から死へ:あなたが見るために生かされたすべてのもの(あなたの破壊的な生き方と背き)に対する死へ。死から真の命へ:新しい創造、男性であり女性でもある霊的存在へ。あなたは死ぬために生かされ、そして生きるために生かされたのです。これがその型であり、そこから逃れる道はありません。

それとも、メシアであるYahshuaにあずかるバプテスマを受けたわたしたちはみな、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのだということを知らないのですか。わたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマによって彼と共に葬られたのです。それは、メシアが父の栄光によって死者の中からよみがえらされたように、わたしたちも新しい命に歩むためです。もしわたしたちが、彼と同じような死においてすでに彼と一つに結ばれているなら、必ずまた、彼と同じような復活によっても彼と一つに結ばれるでしょう。わたしたちの古い自分が彼と共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷とならないためであると知っています。死んだ者は罪から解放されているからです(ローマ 6:3-7)。

自分は罪に対して死んでいる者、しかしYahwehに対して生きている者だと考えなさい! そうです、命から死へ、そして真の命へです。

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