211日目
彼らの姿にかたどって
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力ある方は言われた。「われわれにかたどり、われわれの姿に人を造ろう。そして彼らに支配させよう……」こうして、力ある方は御自分の姿に人を創造された。力ある方の姿にこれを創造し、男と女とに創造された(創世記 1:26-27)。
つまり、あなたは主の姿、彼らの姿にかたどって創造されたのです! 自分が表していると主張するその姿について、あなたは何を妥協してきましたか。それについてどんな偽りを信じ込ませてきましたか。それとも、「わたしの国はこの世のものではない」(ヨハネ 18:36)、「だれ一人、Yahwehを見た者はいない」(テモテへの手紙一 6:16)という単純な理解に安んじていたいのでしょうか。
今のあなたなら、Yahwehの「事の順序」についてもう熟練しているはずです。物事は必ず、物理的(五感の世界)に現れる前に、まず霊的(見えないもの)に起こります。もとのヘブライ語の語根から単純に用語を定義するだけで、わたしたちが知るべきことが明らかになります。少なくとも、それが出発点となります。「彼らの姿にかたどって造られる」というヘブライ的な文脈は、間違いなく、物理的な現れよりずっと前に起こる意識の過程を指しています。これが「自分の救い(救われた思い)を達成せよ」という命令です(フィリピ 2:12)。霊的な国は霊的な姿を生み出すのであって、血肉の姿を生み出すのではないのです、愛する者よ。
その姿に似せられるために何が必要かを見極めていくと、その「姿」になるということは、何かを加えることよりも、はるかに多くを取り除くことを必要とすると分かります。それは、いと高き方の霊的な似姿に一致しないものを取り除いていく過程です。ここで陶器師とろくろのことが思い浮かびませんか(ローマ 9:21)。あなたの器が形作られるとき、地上的な思いのかけらは、名匠なる陶器師の御手の中で回され、不要なものは投げ捨てられます。これによって、あなたの地上的な思い(かす)が残らないようにされるのです。
「あなたがたの内に、この思いを抱きなさい。メシアの思いを!」(フィリピ 2:5)。自我の思い、あなたの内にある堕落した思い(ローマ 1:28)に決して満足してはなりません。この世に倣ってはならない。むしろ心の一新によって自分を変え、何が力ある方の御心であり、それが善いことで、御心にかない、また完全であるかをわきまえ知りなさい(ローマ 12:2)。
よく聞きなさい、愛する者よ。多くの息子や娘たちを栄光に導くに当たり、万物の目的であり、万物を存在させる方[Yahweh]が、彼らの救いの導き手[獅子であるYahshua!]を、苦しみを通して完全な者とされたのは、ふさわしいことでした(ヘブライ人への手紙 2:10)。
そうです、Yahshuaは肉体をもってYahwehの姿を現されました。そしてこの肉体における顕現は、彼の十字架につけられた思いの結果として可能となったのです。「わたしの思いではなく、あなたの御心がなりますように!」(マルコ 14:36)。
永遠の姿とは霊的な姿であり、わたしたちがこの肉の幕屋を脱ぎ捨てて初めて現れます。そして、その二つ(対立を表すヘブライ数字)は一つとなるのです(右脳、男性、知恵と、左脳、女性、理解とが結び合わされて)。それは完成された良心、Yahwehの思いなのです!
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