195日目
現実を見つめ直す 1
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「ある男が真珠を投げ与えながら、その見返りに豚肉の一切れさえ受け取らないのを見るとき——あなたが憤りを覚えるのは豚に対してではない。自分の真珠をあまりにも軽んじ、それを泥の中に投げ込み、豚がうなり声を上げる盛大な演奏会の機会にしてしまうことをよしとした、その男に対して憤りを覚えるのだ……」——アイン・ランド『水源』より。
聖なるものを犬に与えてはならない。また、あなたの真珠を豚の前に投げてはならない。豚がそれを足で踏みにじり、向き直ってあなたを引き裂くことのないように(マタイによる福音書 7:6)。
犬?豚?真珠?文字通りに?わたしがそれほど惜しみなく広めるなと命じた「聖なるもの」とは何か。あなたは、わたしの宝がスーパーマーケットの試食皿のようにあからさまに配られるものだと思い込んでいる。わが子よ、聞きなさい。もしわたしが犬と豚がいると言うなら——そう、それは人間のことを指している——それは、わたしの宝がすべての人のためのものではないことを明らかにしているのではないか。
あなたがたの願いの多くは、まさにそれ、あなたがた自身の願いにすぎない。わたしの言葉はわたしの民、わたしのイスラエルの民(Yahwehによって、Yahwehのために治められる民)のためのものだ。もしかすると、わたしのものである者たちとそうでない者たちがいるということに、しばし立ち止まって考えてみるべきかもしれない。わたしは誰が贖われるかを知っている。わが子は、誰のために死ぬのかを知っておられた。そして彼は、自分がそのために死なない者を一人特に指し示されたが、わたしの言葉は、それ以外にもさらに多くの者がいることをあなたに告げている。
わたしが世にあって彼らと共にいた間、わたしはあなたの御名によって彼らを守った。あなたがわたしにお与えになった者たちを、わたしは守った。そして、聖書が成就するために、滅びの子のほかは誰も失われなかった(ヨハネによる福音書 17:12)。
わが愛する者よ、あなたがわたしを理解し、わたしに従うことを学ぶとき、あなたはわたしの愛がクーポン券のように配られるべきだという考えにそれほど囚われなくなるだろう。あなたがたの多くは、わたしの愛を広めようとあまりに一生懸命になりすぎて、結局は誰かをわたしのもとへ導いたという噂を広めているにすぎない。人を口説くのはわたしだ。霊的な事柄へと人を引き寄せるのはわたし一人だけだ。
これがわたしにとってなぜ重要なのか。それは、わたしの贖いが言葉によるものではなく、力によるものだからだ。恵みによる贖いは、わたしが「子ら」と見なす者たちへのわたしの贈り物だ。あなたがたの中には、この贈り物を「価しない恩寵」と呼ぶ者もいるのに、それでいてすべての人に功績があるかのようにふるまう者もいる。あなたがたはあまりにも急いでわたしの愛を広めようとするが、実際にはあなたがたの人生は、わたしの愛があなたがたを変えたことを証ししていない。
賢くありたいと望む者への秘訣。わたしがあなたに命じた内なる競走(自分の「自己」を征服すること)に集中しなさい。そうすればわたしは、あなたの人生が失われた者に語りかけるようにしよう。わたしはあなたの内でのわたしの行いを通して彼らを愛する。
わが子よ、落ち着きなさい。わたしのものはすべて、わたしの御国にいることになる。わが子の血の一滴でも無駄にされることを、わたしが本当に許すと思うのか。人間がわが子を否んだ決断が、人間の決断であってわたしの決断ではないと、あなたは本当に思うのか。人間が決め、それから神が行動する、そのような「神」に仕える者を、わたしは哀れに思う。わが愛する者よ、わたしはあなたが知る以上に大きな者だ。わたしは初め(アレフ)であり、終わり(タウ)である。
© Suffer Well デボーション・シリーズ