180日目

わたしたち人間

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ああYahwehよ、あなたの主権を大いに喜ぶのは、謙遜な者だけなのでしょうか。あなたに自分の意志を自由に明け渡すのは、わたしたちの中の賢い者なのでしょうか。それはそもそも彼のものであり、差し出すことができたのでしょうか。すべてをあなたにゆだね、あなたの望まれるようにさせるのは、砕かれた者だけなのでしょうか。それはそもそも彼のものであり、差し戻すことができたのでしょうか。

あなたがあなたの子らイスラエルのために意図されたことを完全に理解する者は誰でしょうか。わたしたちは自分の歩みを見極めることができません。どんなに一生懸命試みても。わたしたち人間は、これから起こることについてただ望むことしかできません。しかしYahwehよ、あなたはすべての終わりを完全にご存じです。

わたしたちが自分の心(知性)の内に立てる計画は、わたしたちが望んだとおりに実現することが果たしてあるでしょうか。結果をあなたにゆだねるのは、ただ小さな者たちだけなのでしょうか。あなたの許しなしには計画すら立てようとしない者は誰でしょうか。それは、あなたが探し求めておられる者たちなのでしょうか。

痛みをもたらす道も、罪にまみれた道も含めて、すべての道はあなたのものなのでしょうか。あなたの御心を思うのは、敬虔な者だけなのでしょうか。主権者であるお方が、人類に対して複数の意志を持つことなど、どうしてありうるでしょうか。すべてのことが一つの意志のもとにあることを理解するのは誰でしょうか。それがそうであるからこそ、愚かな者が語るときでさえ、真理の瞬間が見出されうるのです。

まだ明かされていない現実を思い巡らすのは誰でしょうか。しかし〔成熟した〕わたしたちは、奥義の中にあるYahwehの知恵を語ります。それは、わたしたちの栄光のためにYahwehが世界の始まる前から定めておられた、隠された知恵です(コリントの信徒への手紙一 2:7)。すべての膝はかがみ、すべての舌はYahshuaを言い表すでしょう。それはすべて、Yahwehよ、あなたの栄光のためです(フィリピの信徒への手紙 2:10)。

あなたの栄光を離れてはすべてのものが無益であることを理解するのは、従順な者だけなのでしょうか。すでに与えられているもの以上のものを、わたしたちはどうして得られるでしょうか。あなたの御子がわたしたちのためにそれを封じてくださったのに、わたしたちはどうして乳と蜜にあずからないでいられるでしょうか。

ここにわたしたちがいます。わたしたち人間です。わたしたちはあなたの道に置かれています。わたしたちの中には、ここにあるすべての問いへの答えを知っている者もいます。その答えはどれほど重要なのでしょうか。

わたしがこれまで経験してきたむなしさから学んだこと、わたしがよく思い巡らすこの二つのことをここに記します。人があまり歩まない道を歩んでいるときも、人の往来の激しい大通りを歩んでいるときも、Yahwehはわたしに感謝し、喜ぶことを教えてくださいました。これがあらゆる問いに答えることができるでしょうか。そうかもしれません。もしわたしがこの二つのことを行うなら、わたしは自分自身の道を選ぶことができるでしょうか。それでもなお、その決定はずっとあなたのものであったと認めるのは、ただ思慮深い者だけなのでしょう!

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