121日目

喜びの油

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あなたは正義を愛し、悪を憎む。それゆえ、力ある方、あなたの力ある方は、喜びの油を注ぎ、あなたを仲間にまさる者とされた。(詩編 45:7)

「喜びの油!」父よ、あなたが思いに示されるこの言葉、このテーマを、わたしは以前は決して理解できませんでした。骨まで揺さぶられるような堕落、息も絶え絶えになるほどの堕落に至り、残された命にすがりつくようになって初めて、わたしはそれを理解し始めることができたのです。

父よ、わたしの祈りは解放を求めるものです。わたしが記すすべては、父よ、あなたの目のためにあります。わたしの魂の叫びは、お父様、あなたの耳のためにあります。わたしの恐れと希望、わたしの痛みと賛美は、すべてあなたのためのものです。この言葉が紙の上に綴られるとき、わたしは絶望の思いに苦しみ、叫び、自分を空にします。わたしは注がれる献酒のようです。しかしダビデのように、「わたしはあなたに感謝の献げ物をささげます」。ここに、わたしは嘆きに代えて喜びの油を見いだしたのでしょうか(イザヤ書 61:3)。そして、これだけは分かります。だからこそ、わたしはこう叫ばずにはいられません。「たとえ主がわたしを殺されても、わたしはいつも主に信頼する。」(ヨブ記 13:15)

わたしはあなたに新しい歌を歌います。肉からではなく、内なる霊から解き放たれた感謝の言葉を歌います。選ばなければなりませんでした。絶望を抱きしめるか、賛美と感謝をもってあなたに歌うか。わたしは歩き、歌いました。痛みが戻ろうとするその只中で、わたしはこう読みました。「わたしが助けを求めて呼ぶとき、敵は必ず退く。これによってわたしは知る、力ある方がわたしの味方であることを。」(詩編 56:9)

こう言うのが恐ろしいような気さえしますが、この歩みは喜びを取り戻してくれました。まるで見知らぬ場所へと通じる扉のように、なじみのない場所への道のように。そんなに単純なことがあり得るのでしょうか。わたしは試さなければなりません、証しをしなければなりません。

もっと父よ!わたしはさらに感謝の献げ物をささげます。わたしをあなたの喜びの川へ連れて行き、新しく清めてください。とこしえの道を、たとえ地獄(わたしの「自己」の欲望)が目の前に立ちはだかろうとも、喜びと希望のパターンを示してください。たとえ主がわたしを殺されても……。ああYahwehよ、わたしはまだほんの少ししか飲んでいません。父よ、わたしはまだ渇いています。お父様、もっと、もっとください。

主はわたしの口に新しい歌を、わたしたちの力ある方への賛美を授けられた。多くの人はこれを見て畏れ、Yahwehに信頼するようになる。(詩編 40:3)

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