109日目

疑いの種

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父よ、わたしは悔恨の心(思い)をもって来ます。すべての人類のための後悔です。なぜわたしたちはこれほどまでに早く背を向けるのでしょうか。なぜこれほどまでに忘れやすいのでしょうか。

水がぶどう酒に変えられるとき、わたしたちはなんと甘美に喜ぶことでしょう。ぶどう酒がなくなると、わたしたちは、あなたがもう一度それをなさるだろうか、あるいはできるだろうかとさえ思います。あなたが盲人を癒されるとき、わたしたちは驚嘆のうちに立ち尽くします。それからほどなく、わたしたちは、あなたがわたしたちのためにもそれをしてくださるだろうかと思います。わたしたちはあなたが闇を光に変え、わたしたちの前で曲がった道をまっすぐにされるのを見ますが(イザヤ書 42:16)、それでもわたしたちは罪深くも、あなたが約束されたとおり、わたしたちを最後まで導いてくださるだろうかと疑うのです。

ああ父よ、もしわたしが蒔きたくない種があるとすれば、それは疑いの種です。なぜわたしたちはこのようなのでしょうか。あなたが初めから終わりまでわたしたちを覆うと約束されたことを、絶えず忘れる、あるいは疑うことを選ぶ、わたしたちの内にある何なのでしょうか。

そうです父よ、疑いの種が信仰によって壮大に打ち勝たれるとき、それはあなたに栄光をもたらすように見えますが、わたしを重荷にするのはその疑いです。あなたを疑うことは、わたしの成長を妨げます。わたしの不信仰はあなたを辱めます。そのことについて、わたしはお詫びいたします。

わたしに道を示してください、父よ。もう一度、わたしはすべての疑いの種をあなたにお委ねします。それらがなくなるまで。父よ、どうかそれらを取り除いてください。わたしがそれらを蒔いた地が干からび、あなたの臨在によってわたしの心の新しい地が耕されますように(エレミヤ書 4:3-4)。

彼らは彼を見て礼拝したが、ある者たちは疑った。そしてYahshuaは近づいて来て、彼らに語って言われた。「天と地における一切の権能は、わたしに与えられている。」(マタイによる福音書 28:17-18)

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